第三教室
今更学歴を秘匿する理由はないが、まあ書かない。
私の世代、あるいはもっと前の世代の同窓生なら、表題の物がなにか分かる。
10年前に、女を連れて見に行った時は
保存されていた!!
驚愕した。もう、あの建物はないものと思って見に行ったはずである。
在学中に用務員*1のおじさんが、廊下のツララ(石柱)を削りながら、
このタテモンは旧制大学時代やから、もう大分雨漏りしとる。
と発言したのを覚えている。旧制大学とは言え戦後だろうとは推測できる。
彼の発言で興味深いことを補足しておく。
(今残っている先生では)永田先生以外は、私なんかは先生だと思っていない。
そりゃそうだ、大抵学生時代を知っているくらい年下ばかりである。おじさんの事を急に怖く思った瞬間である。
彼はもう退職されているはずである。
私が卒業時には新教室建設の話があり、まあ、隣の似たような建物壊すようだから、うちも壊されるねって思っていた。勿論、少し寂しかった。
第三教室とは別に名前を忘れたが、
外来用教室
があり、外来の集中講義やらを行っていた。
通常は平日月曜~金曜午前に各分野のエース?の先生が講義をされていた。2or3年生はそれを聞く風習があった。なので、同窓生には
第三教室
は特別の場所であると思う。少なくとも僕にとってはそうだ。
フィールズ賞をとった先生が最低二人はこの部屋で講義を受けていて、同じ部屋で僕も講義を受けた、内容なんかどうでもいい、エースの先生が講義してる。ときめかないわけはない。*2永田先生のドキュメントビデオでも撮影されていた。
で、大抵の外来は、外来用教室を使うのだが、
こいつが来日したときだけ、第三教室が使われた。*3
当然満席というか、立ち見の入るスキもない状態で、廊下まで溢れていた。僕は参加していない。
参加した後輩の報告では、ウィッテン教授は
今日の講演はこれくらいにしておきましょう。
じゃないと、数学者のやることがなくなっちゃいますから。
と発言したらしい。小憎たらしい話だが、教授の言うことは正しい。
ウィッテン教授の希望で第三教室が選ばれたことを勝手に望んでいる。