永田先生

永田雅宜 - Wikipedia

数学者ならだいたい誰でも知っている方である。

私が学部2年の時くらいに退官されている。その後は岡山理科大学教授のようだが、大抵、数学教室の辺りでよくお見かけした。夕方は小学校に行って子供数学教室の先生をされていたようだ。

彼の数学上の業績はWikipediaに任せるのとして、兄弟弟子に1名、*1自分の弟子に1名、フィールズ賞取得者が存在する。多分こちらの方が大切な業績だろう。いや、弟子の一人(丸山先生)は京都大学の副学長までやることになることかもしれない。

 

私にとっては先生?でもないのになぜか学校にいる好々爺だった。院生の頃は「永田先生」と認識していた。その頃のエピソードをいくつか書くことにする。

 

図書室によくいて、司書2名と遊んでいることが多い。世間話をしていることも多いが、よくナンクロをやっている。

僕も一度、図書室で指南を受けたことがある、

最初はな、端っこの列見るの、こうなっとると、ここは黒だよね。

僕、(今では「そんなに眉間にシワ寄せてちゃダメだよ」って心の声が聞こえてくる)

(先生にはもっと難しいこと教わりたいです) そうですね、文献コピーに行くので失礼します。

と、哀しい返事をしたのを覚えている。司書の一人が

永田先生って、意外と頭いいんですよ。

その場では緊縛状態になる。

場を離れてから友人と爆笑したが、よく考えたら、永田先生、ご満悦のはずである。

 

あの頃の数学教室には

名誉教授控室?

なるものが、ドクター控室の隣りにあった。*2狭い部屋で、机と椅子と使い古しのマックが置いてあるらしかった。

いつものように、僕がドクター控室で談笑していると、

ニャァ

という音がする、談笑が一時止まる、また喋っていると。

ニャァ

??、控室に常駐している奴が、

また、永田先生がニャンコスィーパーやってる。

ゲラゲラ、え、永田先生そんなにパズル好きなのね。

 

ここまで書くとタダの優しい先生のようだが、そうではない伝説も書いておく。

今でもそうだろうけど、大学1年は解析学の基礎と線形代数の基礎を習う。京都大学では学科分けしないので、生物や化学の奴も50人クラスごとに一緒に受講する。

永田先生が、私の数学年上で線形代数を担当したらしい。

非可換体上の線形代数(正確には加群理論)

を1年生相手に講義したらしい。今でもその講義ノートが欲しいと思う。

確かに線形代数は高校で一度やっているし、エルミート行列ぐらいを新しくやるくらいなのでつまんないと思ったのかもしれない。ジョルダン標準形は2年まで習わなかった気がする。

いくら、京大生でも、これをくらうと8割がたの学生がドロップ・アウトし、残った数名程度は全員が一人前の数学者になったらしい。

 

なにしろ、少なくとも僕の二、三歳上の学年には最低でも「代数学1,或いは2」で永田先生の薫陶を受けた方々が、世界の第一線で数学者として活躍しているのを知っている、彼らは必ずしも「代数学」を専門分野とはしていないが、彼の影響はあるに違いない。

 

 

 

 

 

 

*1:コレは勘違い、永田先生は名古屋大学

*2:これは役人が聞いたら叱られる話だろう