高校の思い出
いい歳こいて、数学の専門書を読むようになるような人間は、高校時代の数学教師などというのは機能しない。そのことを前提として思い出をつづる。
A先生:数学Ⅰを教わった、数学Ⅰで覚えるべき公式は直線と点の距離を求める公式だけかな、って教えてくれた。それ以外の公式は憶えてなくてもすぐに作れるよって、A先生は私以外の多くの生徒から授業が分からないと言われていた。
B先生:自称数学が苦手、僕は尊敬していたが、他の生徒は馬鹿にしていた。
C先生:声がでかい、教科書を棒読みする。
3つの3次元ベクトルの一次独立の条件は平行でないこと
という不気味な?発言があった。授業中に黙って聞いてるのに胸ぐらを掴まれたことがある。他の生徒からは好かれていたようだが、論外。
D先生:非常に教育熱心、
という、教科書に書いていることに反する事を教えていた。数学教員としては失格。
B先生に一度Z会の解けなかった問題を持っていったことがある(嫌がらせのつもりはなかった)「一晩考えさせてください」と言って、次の日、明解に教えてくださった。自分でできなかった自分が恥ずかしかった。
C先生の上記の件は馬鹿らしい(他の生徒には無用)のでほっておいた。
D先生の上記の件は問題があるので、職員室まで問いただしに行った。
だって、そういうことになってるんだもん。
という、数学を大学で習った人間とは思えない答えが帰ってきた。
C先生の誤解は高校教師だけをやりすぎたせいで、一次独立という基礎的な内容を忘れてしまっていたことである。彼は仕事場の本立に数学セミナーを並べるのが趣味だったようだ。
D先生は逆に大学でルベーグ積分の初歩だけ必死にやったためか、微分幾何を必死にやったためか、ルベーグ=スティルチェス積分の変数変換の十分条件が(高校では解析関数なので何の問題もない*2 )わからなくなったのであろう。