なんだか、いそがしい

昨日は、一日中碁会所。
月一で来るプロ棋士に指導碁を打ってもらう。
5面打ちの対局を3周ぐらい打つ。すげえな、おい、とささやき合う、これはいつものことだが、プロ棋士はそんなのは、全然大変ではない、寧ろ鼻歌交じりに、僕が4子置いて勝てない相手を3子で片付ける。
その後2局ほど大盤にて講評。大体勝った人が「僕のやって!」っていうのだが、大体誰も勝っていない。僕だって今の所7子局2回と5子局3回打ってもらって、7子局1回しか勝っていない。
「次から何子にしたよろしいでしょうか?」
「う〜ん、そうですねぇ、(ちょっと迷って)5子でしょうか」
という会話の結果、5子という手合い違いで打ってもらっているせいだが、なにしろ、僕を負かすおっさん連中も、僕が負かすおっさん連中も5子だ。いわゆる「田舎初段」を抜けない連中だ。
あとは3子が、その沢山の対局の中に1局だけ。

講評は、さっきも書いたが勝った人がやってもらいたがるが、皆それなりに厳しい手合いで頑張っているので勝てない。僕は少し自らを見つめなおす意味で今回は6子に手合いを落とした。運良く2目残ったので(これも正確ではなくて、プロはそれくらいは数えなくても感じてる)手を上げて(負けたときも手挙げてるな俺)講評してもらった。
僕位のを講評するのが、まあ、場の雰囲気はいい。笑い飛ばして僕がふくれても、ほとんど全員が目上だ。子供が泣いてるくらいに見られるおじさんばかりだ。あんまり強い若い子の対局とかを講評すると、きいているおじさんは僕を含めて意味がわからないし、なんだか、その子が可哀想になる。弱いおじさんの対局の講評とかは悲惨なことになる。ギャグも通じない認知症の方を介護しているような会話が進行することになって、先生が言葉を迷う。
という訳で、勝っても負けても僕が俎板に乗ることは多いのだが、くだらない碁の時に手を上げた時は先生がいや〜〜〜な顔をされたので、あれはつらかった。
今日も、先生の嫌いな手(悪いというのとは少し違う)を少し故意に打ったのだが「この手はそうですねぇ、30点くらいでしょうか」といわれてまあすぐ納得しない私だったりもするが、その後「80点」にいつの間にか格上げされている辺りが、囲碁の難しい所、手の評価というのはそんなに簡単ではない。ただプロの感覚だと「99点」でもはっきり1点損な手を打ってるだけで違和感があるらしい、これはプロなら当たり前。

本日の反省、

  • 理由も無くすそがかりを打たないすそがかりは次にハウ手が大きい時に打ってもいいだけ。
  • 置き碁の両がかりは中央に出る。白の厚みが出来たりもするが、模様のサイズが小さいので気にすることは無い。
  • どんな時も一生懸命読む、「読まない人は弱い人」とおっしゃった。

昨日一生懸命読んだ。少し顔が赤かったと思う。脳の血管はいくつかちぎれたに違いないが、楽しかった。

まあ、昨日家に帰って書けばいいのだが、雑用済ませて、日付変更のころに友人に電話したら、クレジットカードのポイント7倍日で、友人は盛り上がっていて、2時ごろまで本関係で会話。僕も雑多な本を5千円くらい購入。思ったより安い。やっぱり専門書は高くつくのだが、そいうのは時を選ばず買ってしまっているので、急に7倍ポイントでも思い当たらない。友人はそういう本ほどリストアップしてあって、その上、古本価格がまだ下がるかもしれんから、今日たのむのは損かもしれん、と悩んでいる。まあアホだ。あいつは月の書籍代が家賃の倍を軽く超えるみたいなので、まねしようと思っても出来ない。

そんなこんなで、昨日やろうと思ったことは出来ていない。全然苦ではない、だって休みだもん、好きなことをする。最悪家で寝てても休みは休み。仕事をしなけりゃなんでもいいし、仕事をしてしまうのも勿論問題ない。