歯車(芥川龍之介)より

 レエン・コオトを着た男は僕のT君と別れる時にはいつかそこにゐなくなつてゐた。僕は省線電車の或停車場からやはり鞄をぶら下げたまま、或ホテルへ歩いて行つた。往来の両側に立つてゐるのは大抵大きいビルデイングだつた。僕はそこを歩いてゐるうちにふと松林を思ひ出した。のみならず僕の視野のうちに妙なものを見つけ出した。妙なものを?――と云ふのは絶えずまはつてゐる半透明の歯車だつた。僕はかう云ふ経験を前にも何度か持ち合せてゐた。歯車は次第に数を殖(ふ)やし、半ば僕の視野を塞(ふさ)いでしまふ、が、それも長いことではない、暫らくの後には消え失(う)せる代りに今度は頭痛を感じはじめる、――それはいつも同じことだつた。眼科の医者はこの錯覚(?)の為に度々僕に節煙を命じた。しかしかう云ふ歯車は僕の煙草に親まない二十(はたち)前にも見えないことはなかつた。僕は又はじまつたなと思ひ、左の目の視力をためす為に片手に右の目を塞いで見た。左の目は果して何ともなかつた。しかし右の目の瞼(まぶた)の裏には歯車が幾つもまはつてゐた。僕は右側のビルデイングの次第に消えてしまふのを見ながら、せつせと往来を歩いて行つた。

適当に引用した(from aozora)歯車は15年前の私のお気に入りだった。レエン・コオトの男は確か義理の兄弟だったような覚えがある。轢死した義兄弟と、同様な運命が待っている自分との重ね合わせの中の強迫観念がひたすらに書いてあった気がする。
芥川の一節では

ヴォルテールの翼

という言葉に惹かれた。彼の躁状態が生み出した幻想なのだが、あながち幻想とも言えず、現実と幻想を区別することがあるレベルでは無意味であることが、再自覚されたのを思い出す。