「おやじには二子置いて自信がない」(再出)
明治の名人本因坊秀栄の名言である。
大抵の人は、まあ死んだ親父を立てているのだろうと感じるかもしれない。
本音じゃねえのか
と感じることができる。
まずは、明治の秀栄名人から、
秀和のあとは、本因坊家の世継ぎ問題でもめる。確か、丈和の嫁が口をはさんでややこしいことになる。後の秀甫*1が方円社を立ち上げて、本因坊家は滅びかかる。秀甫も強いが、雑である。特に布石がいまいちわかっていない。方円社も跡継ぎ問題やらなんやらで潰れかかる。
仕方がないので秀和の長男秀元(2段くらい)が本因坊家を継いで、一年で秀甫に本因坊をつがせ、また1年で養子に出ていた三男?秀栄に引き継ぐ。秀栄は強く、どれとやっても黒では負けない。白でも時々勝つ。
後の秀哉、田村保寿だけ、先相先で、それ以外は定先に打ち下ろしてしまい、名実ともに名人を名乗る。
秀栄は、非常に
あかるかった
と言われている。碁打ちなら「あかるい」とは全局がよく見えているという意味である。普通の意味でも性格もよく、下手(全員)ともよく早碁を打ち*2、好かれる。ただし、金勘定が苦手で、棋院は常にカネがない。
或日、秀栄が棋譜を並べていると弟子の一人が
なんで、そんな弱いやつの勉強してるんすか?
いや、弱いやつの棋譜にも一手や二手はいい手があるもんですよ、ただしそれが続かないだけですよ。
そんな秀栄の名言が
おやじには二子置いて自信がない
である。戯言で言っているとは思えない。