バッハは絶対音感はあったのか

聞き分けていたかもしれないけど、現代人の多くが言う絶対音感ではない。
現代的な意味での絶対音感はあっても仕方が無い時代である。
ある音をきいてE#より、数ヘルツだけ上だね。なんてのは当時意味がなかった。
子供の頃から平均律で調整されたピアノを触ることで身につく現代の絶対音感は現代音楽の病といっていい。
音楽というものにとって、絶対的な音階というのは全く本質的でない。
記録、演奏上、多少便利なだけだ。
和声を基準とするピタゴラス音階から、それを近似することで作られた現在の1オクターブを12等分するというピアノの音階は便宜的に過ぎない。

鈴木雅明氏のCDより引用

この解釈*1に疑問を投げかけたのはJ.M.バーバーだった。1947年に彼はこの曲集は<程よく宥めすかされたピアノ>と解釈すべく提唱した。その後、この<平均律>は数ある古典調律法のひとつを指すのだろうという意見が主流になった。その調律法では、個々の和音に純度の差が生じるため、全ての調が独特な性格を持つことになったのである。

私自身の20年来の疑問は氷解しつつある。音楽をいかに上手に演奏する人でも、調性や音階について聴くと、イミフな回答しかもらえなかった。

音楽≒数学苦手

てのはぼちぼち止めにしないか?

*1:近代と私が信じていたもの