湯水のごとく

湯水のごとく湯を利用する女と暮らしていたときは、少し不思議に思えた。私が、オイルショックの前後に生まれた人間だからだ。
実際、水は日本では無料に近いが、湯は今でも結構なコストがかかる。風呂に入ることは未だに贅沢としか思えない。
毎日風呂に湯をためた入りながら、皆で地球温暖化のために待機電力を減らしましょうとか言っている奴を見ると殴りたくなる。

いかん、職場の社長がそう言ってた。

古来、日本では他のもの(食料など)が貧困だった割りに、水とお湯は潤沢だったと言える。どうしてか?
水は今でもそうだが、日本では安価だ、他国でそうであることが少ないのは説明するまでも無い。お湯は、水が豊富であったせいで、日本では比較的森林資源に恵まれてきた。結果として他のものより安価なことが多かった。
で、題名のような言い回しが出来た。現在の日本では他の物が安価になったので相対的にお湯の価値が高くなった。

古代文明においてこの変換がどうであったかは誰でも知っている。現在の日本はその点においては、素晴らしいことに森が復元されつつある。近世以来の均衡に戻りつつあるわけではないが、古代の日本へかえりつつある。護岸工事などはどうしようもないが、田畑の森林化は急激なスピードで日本を自然にかえしつつある。

「自然」大好きの人、おめでとう!