小説を書いてみるその2

(第二部ではない、長くなったので、別の手稿である)

 今の彼には友人が少ない。今までに親友と呼べる人がいた事はない。ほしいとも思わない。何度か、いや多分一度だけ「お前は親友だよな」と言われたことがある。「ああ、そうだね」と答えただろう。正直気持ち悪かったが、まあ仕方のない高校時代の馬鹿げた社会活動のようなものだろうと思ってこんな返事をしたのだろう。

 その親友は学部で席が近く、親友が物理学専攻から数学専攻に移行したのは彼の影響である。彼の運転する車内でC^\infty- the existance of a partition of unity に使う関数を思いついた覚えがある。それ以来、学部時代は割と疎遠で、学部4年、よく覚えていない、確かドラクエ5をやっていた、の頃に、親友が女に振られて、その頃よく一緒だった。彼にとっては珍しく彼の勉強(笑)の邪魔をする友人で、むしろ、彼が誰か友人の邪魔をしているのが普通の状態だったので、まあ珍しかった。親友にとっては次の女が見つかるまで、さすがにそう意識はしていなかったと思うが、橋渡しをしていたようだ。親友はあっという間に就職して女を見つけたようだ。そういった特殊な意味から「親友」とは呼べる。

 中学時代の友は数人いたが、バカ遊びをしたのは一人で、彼を親友と呼んでいいが、彼も当人もそのつもりはない。高校時代はそういう該当者はいないが、親友と呼んでもいい人はいたと思う。どうせ、中学時代からの友人である。これらは、親友と呼ばなくても気心通じ合う相手である。

 大学時代も先に述べた親友以上に気心通じ合う相手はいた。多くの事柄について了承済みとみなせる相手である。それでも当然意見の不一致はあり、それ自体が楽しみではあった。そのようにして、彼を支えた数人を親友と呼ぶ気はない。友人である。そのうちの一人は就職して間もなく彼を結婚式に呼んだ上で、二次会の席で彼の発言に、お手拭きを投げつけながら、「ちゃんとしろよ」と小さな声で叫んだ。親友と呼びたくなるが、彼の一方的な希みに過ぎない。当然ながら、今の彼にはそのように親友と呼びたくなるような奴は一人もいない。馬鹿げた孤独が続いているが通常とも言える。

 もう一度彼は今の自分を振り返る。親友などいたことはない。友人、その中でも尊敬できる友人はいる。その程度のほうが良い。彼はそれほど自信のない自分自身を省みながらもそう思う。数学の本を読むことにすると思った上で、リーマンに友はいたのだろうか、ゲーデルはどうだろうかと考える。ワイルスにはある時期いなかったはずだし、ペレルマンにはいたのだろうと思う。だからこそ、ペレルマンは数学者を止めた。そうに違いない。グロタンディークには親友はいなかったのだろう。

 

 彼は「どうせ」とまた口走りそうになった。この口癖は嫌いな様子だ。「どうせ、私の生命とやらは有限で、上界も知れている。」それは30年程度であろうか。それも、ある尺度でである。光の速度で測るとその程度になるだけで、彼の感覚では彼のそれまでの30年ほど長くはなかろうと思っている。不愉快な口癖とともに、それが長く感じられたりもする。困ったものだ、1分とやらが長くて我慢できないこともある。どういうfunctionだろうか。いつもそんな事を感じている。意味のあることをしていると感じている時は、3時間があっという間に過ぎる。眠っていても1時間が長く感じることもある。誰だってそうだろう。馬鹿なことを考えてしまったとまた彼は反省をする。

 認知症介護施設、彼はそれを恐れている。でもそれ程長くないうちにそれのお世話になるだろうと思っている。どうであれ、世の中はそのようなものばかりである。介護するものとされるもの、その二者を入れ替わりながら、第三次産業とやらは運営されている。どこにいっても、暇を売るものと、暇を潰すことを買うものばかりである。彼も両者を交互に務めている。自覚のないものと自覚のあるものと二種類くらいに分かれるだけだ。自覚があるから偉いというものでもなかろうと彼は考えている。