団塊の世代による専制民主主義
とりあえず、表題のような新書さえ私は見たことがない。(存在しているとは思う)
あっと、私は右翼ではない、むしろ極左である。
日本で民主主義を始めた世代は、戦争を生き残った世代である。彼らのうち少数は熱狂したが、多数は毛唐が持ち込んだ民主主義とやらに懐疑的であった。
ただし、団塊より少し前から「民主教育」が行われるようになり、次第に民主主義者は増加していく。でも少数派である。
団塊の世代は「戦争を知らない子供たち」である。まずは、彼らの言い分、
- 俺らは、人数多かったから、大雑把な教育しか受けていない。
- 入試は狭き門だった。
- 高度経済成長を支えた。
- バブルの時楽しかった。
- 年金がインフレで減るのが嫌だ。
- 孫が就職できないのはかわいそうだ。
それぞれ、勝手で理不尽な言い分だが、その言い分通りに時の政府は動く。なぜなら、民主主義の原理はジェレミ・ベンサム - Wikipedia
「最大多数による最大幸福」の追求
であるからである。少なくともバブル以降は彼らが最大多数である。
「大雑把な教育」は自分の下の世代に、雑な教育として引き継がれる。入試の点を取りさえば良いという教育である。
「入試は狭き門+学歴社会」は、かなりな愚痴で、後の高度経済成長に向けて、精密な分業(女性差別も含まれる)が出来るように検査されただけである。実際中卒でも仕事があったのだから、「氷河期世代」とは雲泥の差である。
「高度経済成長」は歯車になって、判断することを止めて働いただけである。
「バブル最中・以降」は決定的な衆愚政治の源である。
金融、年金システムの改変を行うが、彼らが得するように変化するだけである。
若い世代が
民主主義を見限る
のは当然とも言える。
その上で、著者が憤慨するのは
教育改革の失敗
である。教育改革は衆愚政治的に行うべきではない。教育改革はマッカーサーの様な専制君主が行った方が、あるいは明治憲法のような立憲君主が行った方がずっとましである。履き違えた「民主教育」の成れの果てがやるべきではない。